自分がコミュニケーションコストを払わなかった分は誰かが払ってくれている

「コミュニケーションコスト」は「情報伝達・意思疎通にかかる時間や労力」を指します。

 

自分がコストを払う分だけ、受け取る相手は楽になります。

 

自分がコストを払わない分だけ、受け取る相手はしんどくなります。

 

仕事をする上でのコミュニケーションを例にすると分かりやすいです。

 

質問する時に、仕事を依頼する時など、相手に情報を伝達する際に、自分で考えて整理したり、要点をまとめる手間暇をどれだけかけたか、ともいえます。

 

例えば、仕事を丸投げする人はコストを払っていません。人に質問をする時に自分で調べもせず、考えもせずに質問する人はコストを払っていません。

 

こういった人たちは、自分で考えるのが面倒なので相手にコストを払わせようとします。

 

「そうそう、うちの上司がまさにそう。仕事を丸投げしてきて本当に迷惑」と思い当たる人もいるかもしれません。

 

ここで要注意なのは、人間は他人のことはよく見えていても自分のことは見えていない、ということです。

 

他人のアラは簡単に見つかりますが、自分にも同じようなアラがあるとは普通考えにくいし、認めたくないものです。

 

人の振り見て我が振り直せ、です。

 

自分が普段、情報を伝達する際に、コストを払わずに、自分の頭で考えずに、相手にコストを払わせている場面がないか確認してみると、色々と気づくことがあります。

 

結構な場面で相手にコストを払わせていることに。

 

人に仕事を依頼する時に、背景や目的、経緯、インプットとアウトプットイメージ、完成の期日、優先度などを伝えているか。

 

人に質問する時に、自分でまずは基本的なことは調べた上で、どの部分が分からないのかを明確にした上で、相手に質問を投げているか。

 

人の話を聞く時に、「相手が言わんとしていることはおそらくこーだろう」と想像を膨らませて意図をくみ取ろうとしているか。

 

自分が払っていない分は、誰かが払ってくれています。

 

「コミュニケーションコスト」という意識がない人は、相手にコストを払わせている、という意識もないので、やり取りしている相手からは段々と「面倒くさい人認定」されて、距離をとられることになります。

 

面倒くさい人とやり取りすると、考えるコストを余計に払うことになるし、時間もかかるので当然といえば当然です。

 

だからこそ、自分は相手から面倒くさい認定されないように、楽をせずに、自分ができる範囲でコミュニケーションコストを払っていこうと考えた方がよいかと思います。

 

コストを払わない人は、「自分でものを考えない人」とイコールなので、考える力を鍛える場を自ら放棄しているに等しいです。

 

「コスト」なんて言葉を聞くと、人によっては「払い損じゃないか」と思うかもしれませんが、コストは払った分だけ自分で考える機会を得ることになりますし、考えることで思考力も鍛えられます。