「片喰と黄金」を最終話まで読み終えました。

最終話まで読み終えました。「片喰と黄金」。

 

私は、ヤンマガWebで読みましたが、コミックDAYSのアプリでは全話チケットで読めるようです。

ご興味のある方はぜひ。

 

yanmaga.jp

 

〇あらすじ

19世紀中ごろ、アイルランドを大飢饉が襲った。痩せ果てた祖国で、アメリアと従者のコナーは、ある噂を耳にした。遠く海を隔てた北米の地、その西の果てで、湧くほどの黄金が出たという。この世のすべてを見返すため、黄金を求め、主従は西を目指す。本格北米大陸放浪譚!*作中には扱われている時代背景に則した表現(人種差別・児童虐待等)があります。ご注意ください。またこれらを助長する意図はありません。

 

普段中々漫画を一気読みすることはないのですが、本作は久々のヒットでした。

 

歌でも漫画でも何らかの作品を人が気に入る時というのは、その作品の中に、共感するメッセージや自分が目指す理想像が投影されていることがあるように思います。

 

苦しい状況からでも希望を持って、1歩踏み出すこと。

道なき道を自分で切り開いて進んでいく開拓者精神。

1人1人の登場人物の内面的な葛藤と成長。

マイノリティとしての苦悩。

全く価値観が異なる存在に対する考え方。

 

など色々と読みながら考えさせられることが多かったです。

 

 

仕事における情報整理の重要性について

「○○の操作方法や画面の見方については調べてみたけどよく分からない」という声があって、よくよく案件のフォルダを漁ってみたら、手順がきれいにまとまった資料が複数発見されました。

 

「よく分からない」とコメントを残した人は今は現場にいませんが、業務に関していつも不安を抱えながら仕事をしていた印象があります。

 

おそらく、案件のタスクに関する情報が多い&散らかっていたがために、自分にとって必要な情報にアクセスすることができず、よくわからない部分を残したまま、それでも目の前の業務を一生懸命頑張ってくれていたのだと思います。

 

人間は不安をずっと抱えながら頑張ることはできないと思います。

 

情報にアクセスした先の理解は、各人の理解力に依存しますが、せめて関連情報の整理整頓くらいは常日頃からしておきたいものです。

 

情報がとっちらかっていては誰も幸せになることがありません。

 

情報が整理整頓されないと、

・必要な情報にアクセスできない

・情報を探すのに時間がかかる

・情報にアクセスできないことが原因で不明点が残ったままになり、仕事の全体像をつかむまでに時間がかかる(自分の仕事の全体像を把握できないので、「分からないタスクがきたらどうしよう」と常に不安を抱えることになる)

などのデメリットがあります。

 

何の情報がどこにあるのか。

分からないことが出てきた時にすぐに参照できるようにしておくこと。

 

非常に大事です。

 

仕事が忙しいと、忙しさにかまけて整理整頓が疎かになりがちです。

 

成果に直接つながらないので、後回しにされがちですが、ちゃんと情報が整理整頓していないことが原因で余計なことに時間をかけている結果、忙しい状態になっている可能性もあります。

 

その場合、整理整頓されていないことが原因なので、整理整頓しない限り忙しさが落ち着くことはありません。

 

とある、調査では一般的な会社員が調べもの、探し物(情報だけでなくペン、伝票などを含む)に費やしている時間は年間の合計で約550時間にも上るそうです。

 

約22日を調べもの、探し物に費やしている、と。

 

情報の整理整頓を心がけたいものです。

 

 

 

 

 

 

「三菱サラリーマンが株式投資でセミリタイア目指してみた」の穂高さんの特別講演を視聴

ブログ「三菱サラリーマンが株式投資セミリタイア目指してみた」の穂高さんの特別講演を視聴しました。

 

freetonsha.com

 

www.youtube.com

 

個人的には、FIREは目指すところではないのですが、成果を上げている人の考え方には得るものが多いと思いました。

 

以下抜粋。

ロールモデルがいないので、試行錯誤して自分で道を切り開くしかなかった

・周りがAをやっている中で、自分だけがBをやることを常に問われる。自分の意志を貫けるか。

・満足度を下げない支出の最適化の過程で、工夫や考える訓練を積み重ねることが、価値観の明確化にもつながる

・「理論上の効率性より、継続性、心地よさ」を重視

・自分で考えて、情報を鵜呑みにせずに、情報を咀嚼して自分に合っているか検証してから行動に移すプロセスが大事

・目の前の情報はあくまでひとつの面から見た情報でしかないので、多面的にいろんな角度から見ていく必要がある

・情報はあふれているので、大量の情報をどのように選別して自分にあったものをピックアップして、検証して自分に人生に活かしていくのかが重要

 

#所感

「満足度を下げない支出の最適化と価値観の明確化」については、完全に同意です。

 

周りがやっていることに流されずに、自分の頭で考えた結果「自分はこう」と決めたことを貫く、という話にもつながります。

 

世の中の大多数がやっていることに同調して自分も同じことをやる必要はありません。

 

周囲がやっている「自分は本当はあまりやりたくないんだけど皆がやっているからとりあえずやっていること」が多ければ多いほど、自分の心は動かなくなっていきますし、自分の人生の満足度は下がっていくように思います。

 

自分は何を大事にしているのか、という価値観を明確にすると、大事なものとそうでないものの区別がつくようになります。

 

「満足度を下げない支出の最適化」というのは、価値観を明確にした結果として、自分にとって大事なものに対してリソース(お金と時間)を投下する、ということです。

 

自分なりの価値観を明確にするには、誰かがいっているから、とか、みんながやっているから、という理由ではなくて、「本当にそうか」と当たり前を疑って、自分の頭で考えて、実際に経験、検証してみて自分に合う合わないを判断して取捨選択する必要があります。

 

「継続性、心地よさ」を重視、の部分も、内向型寄りの人間としては大事なポイントです。

 

「一喜一憂せずに淡々と継続していく」とも言えます。

 

強い刺激を欲する外向型寄りの人であれば、短期間で一攫千金のギャンブルを好むかもしれませんが、内向型にとっては強い刺激は不要です。

 

いつでも心を穏やかな状態にしておきたい。

 

これは投資に限らず、別の分野でも選択の際の判断基準として持っておきたい観点です。

アドラー心理学と怒りの根っこ

今年の初めに配属先が変わり、新しい環境に身を置くことになりました。

 

その中で、不安が一定期間解消されないと怒りに変わる、という状況を経験しました。

 

やっかいなのは、自分で感情を自覚できるのは「怒り」の部分だけで、その怒りが「不安」を根っことして発生しているものと気づきにくい点でした。

 

怒りは大体周りの誰かに対して、不満や文句という形で「○○さんがXXしてくれない」と表に出てきやすいです。

 

ただ、怒りの原因をよく見ていくと、怒り自体を解消するように動くよりも、その根っこである不安をいかに解消していくかに焦点をあてないと根本的な解決にはなりません。

 

で、この不安と怒りの関係のように、ある感情が、別の感情を起点として発生する、ということは「嫌われる勇気」で有名な心理学者のアドラーが語っています。

 

アドラーの考え方では、不安や恐怖など自分の中に受け入れがたい感情があると、それを覆い隠すように怒りの感情を表に出す、と考えます。

 

根っこにある感情を第一次感情、それを隠すように現れる感情を第二次感情と呼びます。

 

第一次感情の例としては、不安、寂しい、辛い、悲しい、心配、苦しい、落胆、悔しい

などがあります。

 

自分の中に怒りの感情がこみあげてきて、誰かに不満や文句を言いそうになったら、一旦落ち着いて(アンガーマネジメントでは怒りの感情は6秒待つとよいそうです)、自分が怒りによって隠そうとしている感情を観察してみるとよいかもしれません。

 

ただ、怒りにで隠そうとするくらいですから、自分としては認めたくない感情かもしれません。

 

それを認めてしまったら、自分が自身に抱いていイメージを損なうことになるとか自分にとって不都合があるかもしれません。

 

自分にとって不都合なことほど認めたくないものですから、難しいかもれません。

 

ですが、怒りの感情に振り回されて他人に対して不満や文句を言ったところで、根本的な解決にはならないので、ぐっとこらえて観察してみましょう。

 

自分は何を不安に感じているのか

自分は何が寂しかったのか

自分は何が辛かったのか

自分は何が悲しかったのか

自分は何が心配だったのか

自分は何が苦しかったのか

自分は何に落胆したのか

自分は何が悔しかったのか

 

感情は、何がどうなっているのか分からない場合、振り回されますが、何がどうなっているのか構造を把握して、自分の中にある感情を認めることでコントロール可能な範囲に置くことができるように思います。

 

なので、上の質問で自分の中にある第一感情に気付いたら、「自分は○○している」と認めます。

 

怒りが発生する順番は、

 

第一次感情を認めたくない→隠そうとして第二次感情としての怒り

 

なので、

 

第一次感情を認める→「認める=隠さなくてよい」ので第二次感情の怒りが収まる

 

という作戦です。

 

 

価値観の押し付けに気付く

他人に対して無意識に自分の価値観を押し付けようとしていることに気付くことがあります。

 

価値観を押し付けられて側の相手はよい気はしませんから、なるべく価値観の押し付けは日常で防止していきたいものです。

 

とはいっても「価値観の押し付けをしないこと」がどういうことなのか、具体的にイメージしておかないと、ただのお題目になってしまって日常生活に落とし込めないので、このあたりを考えてみます。

 

まず、出発点として各個人が持っている価値観を具体的なものとしてイメージしてみます。

 

価値観とは「何にどんな価値を見い出すのか」という感じ方や考え方のこと、です。

 

「価値を見出す」というとまだ漠然としているので、ここでは単純に「どんな食べ物が好きであるか」に置き換えてみます。

 

例えば、ラーメンの好みであれば、

味噌ラーメンが好きな人は味噌ラーメンに価値を観ているし、

醤油ラーメンが好きな人は醤油ラーメンに価値を観ていることになります。

 

次に、「価値観の押し付け」というのはどんな状態かを考えてみます。

 

食べ物で考えると、相手の好みを全く考慮せずに自分がそれを好きだから、相手にも自分が好きなものを食べるように強要すること、といえそうです。

 

つまり、「俺が味噌ラーメン好きなんだから、お前も味噌ラーメン食べろよな。醤油ラーメンを食べるなんて許さない」というジャイアンのような態度が価値観の押し付けです。

 

ラーメンの好みで考えると分かりやすいですが、物事の考え方全般について考えてみると、日ごろ気を抜くと他人に対してやってしまいがちだなと思います。

 

「価値観の押し付け」を防ぐには以下のようなことを理解していることがあるように思います。

 

・自分と他人は価値観が異なる全くの別人だと理解すること

・自分が好きなものが相手も好きだとは限らない

・好きなもの(何に価値を観るか)は、当人が決めることであって他人が強要することではない

・他人の価値観を尊重する心構えを身に着ける(他人の価値観を尊重しない者は、他人からも価値観を尊重されることはない)

・他人はコントロールできない。他人をコントロールしようとすると苦しむことになる

・「自分が好きなもの」は、自分の考え方として「これが好きである」と言うにとどめる。仮に相手が興味を持ったようだったら(相手の希望があれば)、情報提供する

・相手が全く興味を示さないのであれば、それ以上踏み込まない(人にはある対象や人に出会う時機やタイミングがあると心得ること)

 

抽象的で気づきにくいですが、価値観を「ラーメンの好み」と置き換えて「自分の価値観を他人に押し付けていないか」という視点でわが身を振り返っていきたいものです。

 

マーケティングと利他の心

「自分が、自分が」の自我の強さを乗り越えていくと、自分の望みやわがままよりも、他人が望むことに注目するようになっていき、結果的にマーケティング的な視点になっていくのではないか、と思います。

 

まず、「自分が、自分が」の自我が強すぎる状態では、相手の都合などお構いなしに自分の都合を優先させて物事を進めようとしがちです。

 

当然そんなことでは一時的には周りの人も折れて、自分のわがままが通ることもあるかもしれませんが、何回も続くようでは周りの人も段々と嫌になってきて、最終的には相手にされなくなったり、足を引っ張られたりすることになるような気がします。

 

「自分が、自分が」では物事がうまくいかないことが分かると、今度は目線を自分から、相手に移動するようになります。

 

よく言われる「利他の心」もその一つです。

 

「利他」で調べると、「自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと」とでてきます。

 

「犠牲」の解釈次第ではありますが、個人的には、自分を大事にしない、自分をないがしろにした状態での「利他」は長く続かないと思っているので、ここでいう「利他」は自分を満たした上での周りを利する心持ち、とします。

 

で、「他人を利する」なんていうと、何をすればよく分からなくなりますが、日常生活でいえば「自分の都合」だけを優先するのではなく、「相手の都合」を鑑みて、「自分の都合」と折り合いをつけていくこと、かと思います。

 

例えば、人1人がやっと通れるような狭い道を歩いていて、向こうから人が歩いてきた時に、自分の都合を優先させれば、自分が先に通って相手を待たせることになります。

 

「自分が先に通りたい」という自分の都合を一旦脇に置いておいて、相手の都合を優先させて、相手に先に通ってもらって、自分はその間待っておく。

 

これが「他人を利する」ことになると思います。

 

見方によっては、相手が何を求めているかをくみ取って、求めているものを提供すること、ともいえます。

 

自分も相手も目の前の狭い道を通りたい。

 

自分の都合は置いといて、相手の「通りたい」をくみ取って、自分は待っておく。

 

この「相手が求めているものを提供する」という視点はマーケティング的だなと思います。

 

マーケティングの定義を調べてみると、「顧客の欲求を満たすために企業が行う活動のこと」と出てきます。

 

他にも色々な定義があるとは思いますが、企業に限らず一個人においても、日常生活や普段の仕事の中で、相手の欲求を満たすというマーケティングの実践は可能だと思います。

 

「相手の欲求」は「相手が自分に求めていることは何か」とも置き換えられます。

 

もちろん、相手がいわゆるテイカー型の人間で、都合よくこちらを利用したり、コントロールしたりする人間であれば話は別なので、相手がどんな人間かは見極める必要があります。

 

その上で、相手の欲求はどんなもので、相手の欲求を満たすために自分が出来ることは何か、相手が自分の働きとして求めているものは何かを考え、それを提供できるように対応していく。

 

対顧客だけでなく、社内であっても、会社自体へのマーケティング、上司へのマーケティング、同僚へのマーケティング、部下へのマーケティングと色々な角度で考えてみると面白いかもしれません。

 

会社が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。

上司が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。

同僚が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。

部下が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。

 

自分自答してみると色々と考えさせられます。

相手が期待していたとしても、自分に出来ることと出来ないことはありますが、自分の都合だけを優先させていないだろうかと、考えるきっかけにはなるかと。