マーケティングと利他の心
「自分が、自分が」の自我の強さを乗り越えていくと、自分の望みやわがままよりも、他人が望むことに注目するようになっていき、結果的にマーケティング的な視点になっていくのではないか、と思います。
まず、「自分が、自分が」の自我が強すぎる状態では、相手の都合などお構いなしに自分の都合を優先させて物事を進めようとしがちです。
当然そんなことでは一時的には周りの人も折れて、自分のわがままが通ることもあるかもしれませんが、何回も続くようでは周りの人も段々と嫌になってきて、最終的には相手にされなくなったり、足を引っ張られたりすることになるような気がします。
「自分が、自分が」では物事がうまくいかないことが分かると、今度は目線を自分から、相手に移動するようになります。
よく言われる「利他の心」もその一つです。
「利他」で調べると、「自分を犠牲にして、他人のために尽くすこと」とでてきます。
「犠牲」の解釈次第ではありますが、個人的には、自分を大事にしない、自分をないがしろにした状態での「利他」は長く続かないと思っているので、ここでいう「利他」は自分を満たした上での周りを利する心持ち、とします。
で、「他人を利する」なんていうと、何をすればよく分からなくなりますが、日常生活でいえば「自分の都合」だけを優先するのではなく、「相手の都合」を鑑みて、「自分の都合」と折り合いをつけていくこと、かと思います。
例えば、人1人がやっと通れるような狭い道を歩いていて、向こうから人が歩いてきた時に、自分の都合を優先させれば、自分が先に通って相手を待たせることになります。
「自分が先に通りたい」という自分の都合を一旦脇に置いておいて、相手の都合を優先させて、相手に先に通ってもらって、自分はその間待っておく。
これが「他人を利する」ことになると思います。
見方によっては、相手が何を求めているかをくみ取って、求めているものを提供すること、ともいえます。
自分も相手も目の前の狭い道を通りたい。
自分の都合は置いといて、相手の「通りたい」をくみ取って、自分は待っておく。
この「相手が求めているものを提供する」という視点はマーケティング的だなと思います。
マーケティングの定義を調べてみると、「顧客の欲求を満たすために企業が行う活動のこと」と出てきます。
他にも色々な定義があるとは思いますが、企業に限らず一個人においても、日常生活や普段の仕事の中で、相手の欲求を満たすというマーケティングの実践は可能だと思います。
「相手の欲求」は「相手が自分に求めていることは何か」とも置き換えられます。
もちろん、相手がいわゆるテイカー型の人間で、都合よくこちらを利用したり、コントロールしたりする人間であれば話は別なので、相手がどんな人間かは見極める必要があります。
その上で、相手の欲求はどんなもので、相手の欲求を満たすために自分が出来ることは何か、相手が自分の働きとして求めているものは何かを考え、それを提供できるように対応していく。
対顧客だけでなく、社内であっても、会社自体へのマーケティング、上司へのマーケティング、同僚へのマーケティング、部下へのマーケティングと色々な角度で考えてみると面白いかもしれません。
会社が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。
上司が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。
同僚が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。
部下が自分に期待していることは何か。自分はそれを提供できているか。
自分自答してみると色々と考えさせられます。
相手が期待していたとしても、自分に出来ることと出来ないことはありますが、自分の都合だけを優先させていないだろうかと、考えるきっかけにはなるかと。