情報を取捨選択する際の判断基準

今の世の中、情報が大量に存在するので、不要な情報を取り除き、必要な情報を取り入れる際の判断基準は、各々が自分で持っておく必要があるように思います。

 

特に、生き方・考え方などの個人の性質が大きく影響するものについては、成果や肩書だけを見て、自分と全く別タイプの人間の真似事をしようとすると、自分ではない誰かを演じることになってしまうので注意が必要です。

 

自分自身のことを振り返ってみると、次のような基準に沿って判断を行っているような気がします。

 

①発信者が自分と同じタイプであるかどうか(内向型寄りかどうか)

自分自身が、内向型タイプなので、基本的には、同じ内向型タイプの人の考え方、生き方から得るところが多いです。

 

逆に、外向型タイプの人間が発信している情報には、「自分とは全くタイプが異なる人間だ」ということを念頭におきつつ、情報を得るようにしています。

 

②その人自身の経験から得た知見かどうか

どこかで聞いたような内容をそのまま語っているかどうかを見ます。

 

他でも確認できる内容であれば、その人から情報を得る必要性は下がります。

 

その人自身が自分の経験から得た知見を、自分なりの観点、切り口で、自分の言葉で語っているかどうかを見ます。

 

あるキーワードを検索した時に、検索結果に表示される上から10個くらいをタブで開いておいて、1つずつ中身を見ていった時に、「このサイトもこのサイトも同じようなことを同じような形で記載しているな」という感想が出てきますが、その中でもその人独自の観点、工夫などがされているサイトは、他のページでも同様に独自の観点、切り口で語られているのではないか、という推測がたつので、要チェックとなります。

 

③小手先のテクニックではなく本質的、普遍的な内容かどうか

テクニック論を語った本は多いのですが、個別のテクニックを追いかけることにはあまり意味がないように思います。

 

まず、動機が不純だと、一時は結果がでたとしても長期的にはマイナスの結果になる、ということがあります。

 

テクニックを用いて、自分に有利に進めたい、という利己心があると、相手にはバレバレですし、レベルの高い人間ほど小手先のテクニックを見破って、相手にしないであろうと思われます。

 

また、自分にぴったりのやり方は最終的には自分で編み出すしかない、と思います。

 

なので、どこかの本に書いてあるやり方をそのまま真似るのではなくて、まず自分の性質などをよく理解した上で、その自分にあったやり方を試行錯誤しながら自分で編み出す、という方が個人的には好みです。

 

自分ではないどこかの誰かがうまくいった方法が自分にも当てはまる確率は一体どれくらいなのかと思うので、自分で編み出した方が、遠回りのように見えますが結果的には近道になると思います。

 

テクニック系をほぼ除外するとなると、本質的、普遍的な内容に目が向くようになりますが、具体的にいうと古典の類になります。

 

土台の部分がしっかりしていないと、その上にいくら知識を積みあげようとも不安定なものになるので、古典を学んで土台をしっかりと作っていきたいものです。

 

④自分の考え方と一部でも被る内容があるかどうか

自分の考えをもたないで、情報を鵜呑みにするのは百害あって一利なし、です。

 

鵜呑みすると、情報を妄信しがちになり、被害妄想につながりやすくなります。

 

また、自分で考える力もつかないので、読んでいるというよりは、ただ見ているだけの状態になり、そこに自分なりの洞察などが生まれる余地がなくなります。

 

なので、情報にあたる際には、まず自分なりの考え方をもってから情報にあたること。

 

自分なりの考え方をもって情報にあたると、見ていった情報の中に自分と同じ考え方と被るような内容を記載している本を発見することがあります。

 

会ったことも、話したこともない人と、価値観を共有できている感覚です。

 

この価値観を共有できる相手は、取得情報リストとして優先順位が高くなります。

 

ただ、人間には自分の考え方を強化するような情報を集めたがる、という性質もあるので、自分の考え方と反対の立場をもっている人の意見も考慮して、物事を考えていく必要はあります。

 

本日は、ここまでです。