コップの水理論と幸不幸
「コップの水理論」と呼ばれるものがあります。
※元々はドラッカーの言葉だったようですが、その話は脇に置いておきます。
コップに半分水が入った状態を見て『半分入っている』と捉えるのか、『半分空である』と捉えるのかの違いについて述べたものです。
この理論で述べられている「状態は同じなのに物事の捉え方で見えてくるものが違ってくる」というのは、人生の様々な問題を別の角度から考えてみるヒントを提供してくれていると思います。
例えば、幸せと不幸について考えてみた時に、同じような境遇にある人でも、人によって幸せそうな人もいるし、不幸せそうな人もいます。
色々な理由が考えられるとは思いますが、結局のところ、何が幸せと不幸せを分けるのかは当人の物事の捉え方、ものの見方であるような気がします。
どこに焦点をあてて物事を見ているのか、と言い換えてもよいです。
コップの水=今ある幸せ
と考えると、
幸せを感じている人は、コップの水(今ある幸せ)に焦点をあてて物事を見ています。
今ある幸せに焦点があたっているので、今の状態ですでに幸せを感じられる状態、自分が満たされている状態と言えます。
自分を満たして満足しているので、不足や欠乏感を感じることはありません。
自分を満たしているから、他人から奪う必要はなくて、むしろ他人に分け与えることができます。
一方で、不幸を感じている人は、コップの水(今ある幸せ)ではなくて、コップの空の部分(不足している部分)に焦点が当たっていて、コップが水一杯にならなくては自分は幸せになることはない、そこまでは幸せを感じることはできない、と考えます。
実際には、幸せな人と同様にコップの中には水(今ある幸せ)が半分も入っていますが、不幸を感じている人は、その水に気づきません。
今ある幸せに気づかずに、空の部分に焦点が当たっているので、常に不足や欠乏感が付いて回ります。
自分が満たされていないので、他人に分け与えるなどという発想になるはずもなく、むしろ他人から奪おうとする人もいるかもしれません。
このように、同じ状態でも捉え方によって全く異なる感じ方になります。
言い換えると、幸せな人は幸せになるような考え方をしているし、幸せを感じる物事の捉え方をしています。
逆に、不幸な人は不幸になるような考え方をしているし、不幸を感じる物事の捉え方をしています。
物事の捉え方、見方を明暗を分ける、と。
ですから、人生の様々な場面で、不幸になる捉え方から幸せになる捉え方に切り替えることができる、その柔軟性は非常に重要であると思います。